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2009年 03月 26日
最近こんな本読みました
去年くらいに本屋で見かけたんですが読んでなくて最近図書館で偶然見かけて借りました。 うちエコ入門 ペオ・エクベリ&聡子・エクベリ ここのお宅では1ヶ月のゴミがサッカーボール1個だそう。 その理由はゴミになりそうなものは使わない・もらわない。 家にコンポストのミミズを飼っていて生ゴミ以外も紙とか布とかもミミズが食べてくれ、その土を家庭菜園にっていうつわものの循環システムをお持ちです。 観葉植物も枯らしてしまうことが多々ある私に生き物のミミズ・・ってのはかなりの上級者コースですが、他にもいろいろ簡単に出来るエコが書かれていてとても参考になりました。 早速はじめてみたのがチラシを箱型に折って料理のとき生ゴミを捨てるって方法です。 よく聞く方法だったのですが肝心の箱の折り方が分からず試してなかったのです。 私の住んでるところは生ゴミもビニール類も紙類もすべて同じでOKです。 でもこのやり方だと生ゴミが水に濡れる可能性が少ないし(野菜の皮むいたりしたらポンポン箱に入れて行けばシンクの水切りにゴミが集まらないので濡れない)、調理後箱の口を閉じてそのままゴミ箱へGO。 (ごめんなさい この方法は別の本からの内容でした。佐光紀子さんの本でした 4/1加筆) 楽エコです。 あと極力マイバッグ。当たり前のマイバッグに。 以前より大き目のトートバッグでなるべく出かけてレジ袋断っていたのですが、 さらにこれからはもっと断ろう・バッグ持ち歩こうと思いました。 (レジで言うタイミングが結構難しかったりするのですが。 店員さんは条件反射のように袋を用意されるので気がつくとすでに袋に入っていたりする) いろいろ楽しそうなエコ情報が満載でしたが一番印象深く考えさせられたのがこの一文でした。 『100万年以上という気の遠くなるような時間を経てできた地下資源を、私たち人間はこの100年余りで使い果たそうとしています。』 世の中にガソリンがあって車が走ること、 プラスチック商品があること、 化粧品があること、などなど当たり前と思ってました。 そしてモノが古くなったら捨てることもそれほど罪悪感がなくいました。 でもそれってとても希有なこと。 ここ100年くらい生きている人しか味わっていないこと。 さらに言えばそれも経済的先進国の人が独占してしまっている。 そしてこのままいくといつか必ずそれはなくなってしまう。 私たちの子孫たちはそのツケを必ず払わされるだろう。 それはいけない。 なにか間違っている。 子どもや世界中の人にそんな負の遺産は残したくない。 そんな風に強く思いました。 近い将来今の世の中の価値観がぐらっと根底から覆されるような時代が来る気がします。 今当たり前にしていることが当たり前ではなくなるような。 そんな片鱗を最近の経済状況や時代の流れに感じたりしませんか? たとえば地上・地下資源が枯渇しない永遠のものだとします。 でもだからといって湯水のごとく使い捨てしてゴミをどんどん増やしていく生き方ってどうなんでしょう? 実際私そういうモノムダ遣い生活してます。 それを急に180度変えることは出来ないし、便利な部分はたくさんあるし時には必要だったりします。 技術の進歩バンザイです。 でも資源のこと、世の中の成り立ちを知ることで少しでも、1歩でも昨日とは違う生活の仕方ってできるんじゃないですかね。 エコって個人でどうこうするより大企業がいっせいに本気で取り組んだほうがどれほど効果があるかって思いませんか? でも今の私たちが時代につきつけられている本質はそこではなくて、この物質まみれの世界で私たちがどう生きるか、なにを選び取っていくかってことなのかな、と思いました。 私は子どもを産んでから特に『手がかかること』をわざわざしてるの?と思われることを好んでするようになったと思います。 痛みを伴う自然出産を希望したり、 母乳育児を長く続けたり、 布オムツにしたり、 梅干を作ったり、 味噌を仕込んだり、 裁縫で手作りしたり、 種撒いて家庭菜園したり、 どこかへ行くのもわざわざ歩いてみたり。 向田邦子のあの世界に昔から郷愁を感じてます。 物は少ないけど清貧な感じがとても美しいと思います。 江戸時代の庶民の正に地に足がついた生活に魅かれます。 そこには確かに人が手をかけて生活をしている実感があるからなんだと思います。 吉村医院で薪割りをして思いました。 『すっごい大変』 この料理をするためにはどれくらいの薪が必要か。 この薪の量だとどれくらいおかずが作れるのか。 こんなに苦労して薪割ってるけどこんだけしか割れてない。 昔の人は雨の日薪が割れずご飯作るのも一苦労だっただろうな。 先日小豆を煮ていて思いました。 『これ作るのに何時間ガスをつけてなくちゃいけないの?』 それって薪の時代だったら相当のゼイタク品。 だからおはぎって昔はお彼岸とか特別なときしか作らなかったのかもしれないな。 裁縫をしていて思います。 ひとつの小さなバッグを作るのにも生地を水通しして寸法測って裁断してアイロンでくせつけてミシンで縫って手まつりして・・といくつもの工程があって初めて出来るんだ。 ベランダ菜園してて思います。 種を撒いて水あげて芽が出て花が咲いて実がなるんだ。 別にこういうことをあえてしなくても今の世の中便利でありがたいです。 蛇口をひねれば水が出る。 ガスをひねれば火がつく。 スイッチ入れれば電気がつく。 スーパーに行けば野菜もお肉もお菓子も手に入る。 エコバッグだって作らなくても100均に行けば、100円で遜色ないものが手に入る。 なのに手をかけることをしたくてたまらない。 そして手をかけてその工程を知ることで、 この歳になってはじめて知る物の成り立ちや価値が分かる。 私はきっと生きている実感が欲しいんだと思います。 そしてそれを知ることは豊かに生きれるって本能で分かっているからだと思います。 モノがたくさんあるから豊か、って価値観がグラグラと私の中で崩壊しはじめてます。
by lunaluna1102
| 2009-03-26 10:50
| 本
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