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2009年 04月 09日
ってタイトルだとなんだか文集のようですね。
はい、文集です。 先月卒園した『子どもの家』の文集に寄せた私の文です。 私の夢を書きつづってみました。(あかりの文集ですが・・) 本当に今はただの夢で、 なんだか絵空ごとで、 雲をつかむような話なのですが、 気持ちはいたって真剣です。 ちょっと恥ずかしいのですが、 こうやって表明することで同じように考えている人たちがまわりにいるかもしれないし、 一緒に夢を現実にしていけたらいいな、 と思いました。 あかりもはるも目に見えて成長していて、 私もなにか次のステージに進みたくなったのかしら。 いや二人から気づかされたんでしょうね。きっと。 人って大人になっても夢を見ることが出来るんだ、 って気づけたことが最大の喜びです。(今のところ) 本当の喜びはこの夢が叶ってからビール一気飲みしたいです。 かかわりあって生きて行きたい 子どもの家にあかりは1歳3ヶ月~2歳3ヶ月と2歳10ヶ月~3歳2ヶ月の間お世話になりました。 その間先生方に大変お世話になりました。 本当にありがとうございました。心からの感謝とお礼を申し上げます。 どうして・・・ 『わが子と一日一緒にいられない。』 去年の夏から秋にかけての私です。 自分の気持ちに気がつき愕然とし現実を受け入れられない気持ちでいっぱいでした。 二人の育児がこんなに大変なんて・・。 私が第二子の出産のためあかりは保育園を去年4月で退園、 『これからは毎日一緒にいられる!いままでの分を取り返すくらい楽しもう!』 と思っていたのですが現実はそうではなくウラハラな私のココロ模様でした。 1歳過ぎから保育園に預け働いていた私は子どもとどう過ごしていいのか分からないのです。 一日がすごく長く感じました。家事ややることはたくさんあるのに遅々として進まないし。 実家に里帰りしていたときはまだ大人の手がたくさんあったのでまだそれほど切羽詰ってはいませんでした。 でも千葉に戻ってきてから私のため息は確実に大きくなり回数が増えました。 『明日はなにをしよう。』 公園へ行っても下の子を抱っこしているから思うように動けずあかりと遊んであげられない。 炎天下の元では赤ちゃんにはかなりしんどい、だからすぐ帰ることになってしまう。 二人のペースが違うためどちらかに負担をかけてしまう。 頑張ってお友達の家や何かのイベントなどに出かけてみる。 スリングにはるとを入れベビーカーにあかりを乗せていると現地に着くころには体力消耗。 2人のお世話をしながらだとママたちとの会話は中途半端、 場所見知りや人見知りをするあかり、 泣き出しおっぱいタイムになるはると、 トイレに行きたいと思っても『ママ行っちゃダメ』というあかり。 結局イベントの内容はほとんど耳に入らず、 初めて会うママたちの顔と名前と会話の内容はサッパリ。 ドロドロ状態になってなんとか家にたどり着きドアに手をかける私でした。 天気の悪い日、体調がすぐれない日はもっと大変。 一日こもりきりでたった3人過ごす時間は永遠にも感じられ孤独でした。 『私笑えなくなってしまった・・・』 と主人に告白しました。 サザエさん症候群よろしく親子3人ただ時が過ぎるのを待つだけの長い平日がやって来ると思うと 週末の終わりかけが怖かったです。そしてまた実家にあかりたちを連れて帰ることにしました。 自分の時間がないからと読書や趣味の時間と称し夜中に起きて寝不足だったのもいけなかった。 産後の体やっぱりなめてはいけません。 そんな状況を察し主人自らがみっちゃん先生に相談し、 先生方も園児が満員のところなのにあかりを受け入れてくれました。 本当に本当にありがたかったです。足を向けて寝られません本当に。 これほど人のやさしさが身にしみたことはありませんでした。 あの時の助けがなかったら今の私はどうなっていたか想像すると怖いです。 そんなこんなで窮地から救い出された我が家でした。 子育てってもっと幸せなはずなのに、 大変だけど楽しくあるはずなのに・・何で? かかわり合う社会 全く未熟な私ですがそんな経験から気づいたことがあります。 実家も遠く、近所付き合いがあまりない都会生活。 私の育ってきた環境を思い返すとモノ心ついたことには近くに子育て中のママとか小さい子と関わる生活ではありませんでした。 そのため子どもとの遊び方や接し方をほとんど見たり体験したりする機会もなく子どもだった自分が大人になりました。 あかりが生まれて思いました。 私子育てが分からないのです。 教えてほしいのです。 そんな風に実は思い悩んでいるママって意外と多いのではないでしょうか。 特に核家族で育った私たち世代は。 だからと言って道端ですれ違った人に聞くわけにもいきません。 パパは一家の大黒柱として毎日朝から夜遅くまで頑張って働いてくれてます。 悲しいけど平日はほとんど母子家庭。 そんな中ママ一人で子育てするのは相当のプレッシャー&忍耐がいることではないでしょうか。 『大変だ~』と思っていたころ一番癒されたのは『同調』してもらえることでした。 大変だから家事を手伝ってもらうことより、 『一日大変だったね。今日そんな中子どもたちを公園に連れてってくれたんだ。ありがとう。』 というパパの言葉はすごく励みになりました。 ママって、母って、底力あるのです。そういう言葉って母性本能くすぐるのです。 ママも誰かにゆりかごを揺らしてもらいたいのです。 子どもとばかりいるとだんだん大人と『会話』したくなる。 ママである顔以外の『自分』の顔を持てる時間が一日のうち数分でもあると元気になれる。 そんな同胞たちに救いの手を! 大変な思いをしたのは私だけで結構! どげんかせんとあかん! と思うようになりました。 いきなり話が飛躍します。 ものすごい青写真ですが将来『地域密着型コミュニティーカフェ』を作れたらと思っています。 昔の様に何世代かで同居する生活でご近所さんとも醤油の貸し借りができるコミュニティが一番人間らしいと思いますが、この現代社会のシステムでは難しくなっています。 だったらここに縁あって居合わせたみんなでかかわり合っていけたら、と思うのです。 そのカフェには子育て中のママから退職したおじさんおばさん、 小学生、中学生、高校生なんかもやって来ます。 子育て中のママは昼間の何時間かそこで過ごしながらちょっとゆっくりお茶やランチをします。 赤ちゃんや子どもたちは自由に遊んでます。 おじさんおばさんは遠くにいる孫の顔を思い浮かべながら赤ちゃんを抱っこして、 悩める新米ママに子育てのコツなんか教えてくれます。 学童保育に行く代わりにカフェに来た小学生は普段接することの少ない赤ちゃんをおっかなびっくり抱っこしてみたり、一緒に遊んであげたりします。 カフェでは季節の手仕事があります。 干し柿・味噌・梅干を作ったり餅つきしたり・・。 いろんな世代がみんなで一緒になにかするのです。 時々整体師とか美容師さんとかに来てもらって 子育て中で一人になれないママのマッサージやヘアカットなどもしてもらったりも。(これは私の育休中の願望) 妊婦さんを集めて体力づくりのために薪割りしてもらったり(吉村医院直伝) その薪でご飯を炊いたり・・。 道ですれ違っていたころは挨拶もロクにしなかった人々が 顔と名前と素性が分かり仲間へと変わって行きます。 今まで知りえなかった人々がこのカフェを通じてつながって行くんです。 自分が知らないこと出来ないことを教えてもらい助けてもらう。 自分が出来ることは誰かのために役立ててもらう。 そして時がたっていつか立場が代わるのです。 えーしかしこういうカフェをするには資金など必要なため地道に一歩ずつスタートです。 今考えていることは手作り品などをネット&フリマで販売したり、 産後ママや子育てママのために食事のケータリングのサービスをしたりなどを考えています。 (どんだけ地道じゃ。でも少しでも同調していただけたらとてもうれしいです。 一緒にできることからはじめませんか?メール待ってます。仲間大募集中です。) こういう夢を思い描くようになったのも子どもの家の存在がありました。 ここにはそういうかかわり合いがあるからなのです。 子ども一人ひとりを見つめてくれる、親たちのことも見ていてくれる。 たしかな人と人とのつながりがこの保育所にはあったのです。 最後にすべての出会いとたくさんの気づきを与えてくれた子どもの家に感謝します。 そして祈ります、 子どもの家が幸せな子どもたちのためにずっとあり続けますように・・ あかりへ ここまで健康に素直に育ってくれてありがとう。未熟なママを受け入れてくれてありがとう。
by lunaluna1102
| 2009-04-09 21:48
| 日常
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